2007年4月15日 星期日

特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 大野晋さん


特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 大野晋さん <1997~2007 再び語る>
 ◇民主主義には侵してはならぬ倫理がある。それを60年かかっても覚えられなかった
 背中を丸め、ゆっくりと歩を進める。「今度転んだら寝たきりと言われましてね」。70年間、「日本とは何か」という問いを胸に、日本語研究一筋に生きてきた。つえに身を預けた大野晋さん(87)は今、夢見るように言う。「インドにもう一度行きたかったねえ。案内するという考古学者もいるのに」
 1919年夏、東京の下町に生まれた。病弱で徴兵されず、戦中戦後もひたすら学問に打ち込んだ。てっきり学者家系の出身かと思いきや、「実は下町の砂糖問屋のせがれでしてね。店がつぶれ、他人の世話になりながら、アルバイトをして旧制一高に入りました」。
 開成中学時代に、初めて山の手の友達の家に行き、背後にヨーロッパ文化を垣間見た。下町との落差に驚き、「同じ東京でもここまで違うのか。異質な相手、欧州を理解するにはまずは自分を、日本を、そして日本語を知ることだ」と痛感したという。「日本とは何か」が生涯の命題となった。
 「旧制一高合格は28人中28番目。つまりビリだった。つらかった。僕は『多力』『少力』という言葉を考え出した。多力とは、生家が金持ちで社会的地位も高い人のこと。一高にはいっぱいいた。少力とは、僕みたいに学問を続けることさえ困難な状況の人間のこと」
 それから大野さんはティーカップの受け皿をテーブルに置きなおすと、皿の縁の一点に指を置き、「僕たちはみな、ここにいた」。次に中心点を挟んだ向こう側の縁の一点まで指を伸ばし、「目標はここにあった」。
 「多力の人は、皿の中心点を通ってまっすぐ目標に進める。でも僕にはできない。少力は皿の縁を遠回りでも歩いていくしかない。1・57倍の距離をね。でも勝ち負けが決まるのは最後に墓場で会った時、とそのころは心に念じていたんだ」
  *  *  *
 中教審の専門部会は06年3月、小学校での英語必修化を求めた報告をまとめた。しかし、「日本語をきちっと使えない者になぜ英語がちゃんと使えるか。小学校での英語は耳を育てる意義はあっても、限られた授業数の一部を英語に割くことで失うことのほうが大きい」との考えは今も変わらない。
 グローバル化が加速し、数年前にも増して世界共通言語としての英語が台頭してきた今、こうも言う。「外国語が入ってくる時は、まず文明から先に入ってくる。言語の前に文明がある。だから言語の問題だけを考えても仕方がない。文化や文明の力の弱い民族の言語は負けちゃうんです。優勢な言語に巻き込まれてしまう。日本は今、まさにそうですね」
 今の世には半ば絶望しているという。「子が親を殺し、親が子を殺す。県知事や議員が金をごまかし、政府は何億円も使ってタウンミーティングでインチキをする。民主主義にはそれなりに、決して侵してはならない倫理がある。それを60年かかっても覚えられなかった」
 感情的に他人の言説を押しつぶそうとするインターネット上の風潮についても、「ただ感情的に気に入らないとか、自分の意見と違う、というだけで反発し、反論する。もっと論理的に考えることを身につけなければ」と警鐘を鳴らす。
 何より倫理の崩壊が気がかりだ。「戦前の天皇制が良かったとは言いません。でもあの時代には天皇を頂点とした富士山のような揺るがない倫理があった。富士山の基礎には、長い歴史を持つ儒教精神があった。すなわち『忠孝』です。しかし、戦後は、外から持ち込まれた民主主義の基礎が日本人にはわからなかった。民主主義を守るためには何が必要で、何を守らねばならないかを知らないうちに、形だけを取り入れた。その結果、自由の精神は『自分勝手』に、平等は『均一』に、それぞれ誤解されてしまった」
  *  *  *
 かつて大野さんは「世界に誇る日本独特の価値観」として、「もののあはれ」を挙げた。「つまり共感です。感受性、情緒性は日本で豊かに育ちました」。例えば、形容詞のク活用とシク活用。「広ク」「長ク」などの客観的に形容するク活用と、「悲シク」「わびシク」などの情意を形容するシク活用について、「ク活用の形容詞は古来ほとんど増えていない。一方、情意を示すシク活用はどんどん増えてきた。『悲シク』だけでなく『うら悲シク』『もの悲シク』などとね」。そこからも客観的観察力に日本人が弱いことが分かるという。
 「つまり日本人は物の細密な観察や倫理、論理が苦手。水田稲作、金属使用、漢字、仏教、儒教……、日本が独自に考え出した文明は一つもない」
 日本が唯一生み出したのが情緒的な感性であるならば、安倍晋三首相の「美しい国」は何より日本人の胸に響く言葉、ということになるのだろうか。
 大野さんはむっとして否定した。「政治家は『美しい国』より大事な『倫理ある国』を目指すべきだ。あれは安倍さん自身の言葉ではないと思う。あの人に本当の『美』の尊重があるか。側近の誰かが考えついた策略のための言葉でしょう。第一、今のこの国は政治的に醜悪だよ」
 では「美しい日本語」ならばどうか。「美しい、などと初めから情緒的に言語をとらえてはだめなんだ。大切なのは意図が明瞭(めいりょう)な、きちんとした日本語を使うこと。『美しい国』はその後からついてくる」
 改正教育基本法に盛り込まれた「愛国心」についても、「生まれ育った場所に抱く愛着ならば、人は自然に持っている。でも愛国心は行き過ぎると、唯我独尊にもなるよ」。
  *  *  *
 今年88歳。正月もひたすら執筆にいそしみ、春に出版予定の本の原稿をほぼ仕上げた。テーマは、生涯追い続けてきた「日本とは何か」。この問いに答えは出たのか。
 「私なりの結論は『日本は模倣の国』です。借り物の寄せ集めの文明だが、それでもかつての日本は諸外国の文明を模倣し、摂取する能力にたけていた。物事に忠実で勤勉だったから。今の日本はそれすら失おうとしているのではないか」
 絶望に満ちた結論に、思わず「希望はないのですか」と食い下がってしまった。すると大野さんは「希望ねえ……。僕はむしろ最近、『日本とは何か』と学問に打ち込んできたこれまでの一生を、教育や政策策定などの未来につながる行動に注ぎ込むべきだったんじゃないか、と考えてしまうことがある。日本研究という生き方自体が間違いではなかったか、とね」
 胸を突かれた。若いころのインタビューで「学問するのは、僕の中に『日本とは何か』という問いがあるから。それに答えるためならば、何時間でも、苦しくても、学問を続けられる」と語った人である。そんな人が「研究者としての人生」に疑問を投げかけてしまうほど、この国に絶望しているとは。
 せめてこれからを生きる我々に未来を見据えた言葉をください、と頼んだら、大野さんは考えたうえで三つを挙げた。
 「事柄、事実に対して誠実であること」「ものごとをよく見ること」「そして、それを論理的に展開すること」
 小さく笑い、言い添えた。「僕はね、これまでこの三つを学問の方法論としてきたんだ」
 一つひとつの言葉はとても平易なのに。その言うところを実行するのは、とても難しい。【文・小国綾子 写真・山本晋】
==============
 <00年8月22日紙面から>
 ◇「言語への緊張感」を失うな
 インタビューの前年に出版した「日本語練習帳」(岩波新書)が、170万部を超えるベストセラーになった。
 「国文学科以外の学生が社会に出て文章を書く時に、少なくともこれだけの考え方で日本語にのぞむ必要がありますよと、ごく基本の基本が分かるように示したいと思って書いた」。小学校からの英語教育が議論を呼んだ時期でもあり、「日本語もできない、英語もできない虻蜂(あぶはち)取らずの日本人をつくるだけだと思いますね。日本語をきちんと使えないで、何で英語を使えるんですか」と批判した。
 さらに、「とてもよかったかな、みたいな……」といった「ぼかし言葉」のはんらんについて「日本語練習帳で言いたかったことは『はっきり言いなさい』『はっきり読み取りなさい』ということです。(中略)現在のように細かいことを突き詰めて考えなければならない時代では、あいまいなままでは通用しない」と指摘した。森喜朗首相(当時)の「神の国発言」についても「言葉に対する緊張感は、事柄に対する緊張感でもある。言語に対する緊張感は決して失ってはならない」と苦言を呈した。
 日本語の今後について「自分が小さい時に覚えた言葉で自分の考えをきちんと言えるような人間にならないと。さもなければ、英語を使ったってちゃんとしたことは言えない」と結論づけた。
==============
 ◇「夕刊とっておき」へご意見、ご感想を
t.yukan@mbx.mainichi.co.jp
ファクス03・3212・0279
==============
 ■人物略歴
 ◇おおの・すすむ
 1919年、東京生まれ。東大文学部国文科卒。学習院大名誉教授。「岩波古語辞典」の編さんや、日本語のタミル語起源説で知られる。「日本語の起源」「学力があぶない」「日本語の教室」(岩波新書)など著書多数。
毎日新聞 2007年1月10日 東京夕刊

沒有留言: