2007年4月21日 星期六

日本の文字について ──文字の表意性と表音性── 橋本進吉

· 國語の現状及び歴史
· 國語國字の本來の性質の認識
· 國語國字と國民との關係の認識
 今日の國民生活に密接なる關係を有し、一日と雖もはなれる事の出來ない漢字と假名とについて、その根本の性質は何にあるか、中にも言語との關係がどうなつてゐるかを中心にして説明してみたいとおもふ。
 これは珍しい事、新しい事ではなく、わかつた事で、或は無用の事と思はれるかも知れないが、實際、我々にあまり近しいものは、存外その眞實がわからないものである。國語國字の問題を論ずる人々にもこの危險がある。
 文字は言語をあらはすものである。代表するものである。社會的拘束、習慣にすぎず、兩者の間に必然的の關係は無いのである。そしてもし言語を表さぬものとするならば文字でなく、唯符號にすぎない。
 言語は、一定の音と一定の意味があり、一方から一方をおもひ出させるものである。音は意味を代表する。(兩者は同價値にあらず。目的は意味を他人につたへるにあり、音はその手段として用だつものである。)
 文字が言語を代表するとすれば、それは意味を表はすとともに音をもあらはすのである。即ち表意性と表音性との二つの方面があるのである。
 これが文字の最も根本の性質であつて、文字を考へるに當つては寸時も忘れてはならない事である。
 漢字と假名とは文字としての性質を異にする。漢字は表意文字又は意字とよばれて意味を表はすもの、假名は(ローマ字などと共に)表音文字又は音字とよばれて音を表はすものと考へられてゐる。さすれば一寸見ると漢字には表音性なく、假名には表意性が無いかのやうに見えるが、はたしてさうであらうか。
 まづ漢字について見るに、漢字には、從來、形音義の三つのものがあると考へられてゐる。形は、その字の形であり、音はその字のよみ方であり、義は、その字のあらはす意味である。そのうち音と義とは、言語に屬する事である。(漢字がなくとも、言語として音と意味とは存在する。)漢字には、それぞれきまつた形があつて、それが、きまつた意味を表はし、又きまつた音(よみ方)をもつてゐる。そのきまつた意味と音とをその形があらはすのであるから、漢字の形は、つまり言語を表すものである。即ち、表音性と表意性とをもつてゐるといふ事になるのである。即ち、漢字に形音義があると考へられてゐるのは、漢字には表意性のみならず、表音性もある事を認めてゐるのである。
 次に假名はどうか。假名は表音文字といはれてゐるやうに、一々の假名はきまつたよみ方(音)をもつてをり、言語の音を表はすが、意味をあらはさないのが常である。さすれば假名には表意性はないかといふに、さうではない。なるほど一々の假名はきまつた意味を表はさないが、之を實際用ゐる場合には、之を以て言語を書くのである。その場合には一つの假名で或意味をあらはす事もあり、又一つで足りない場合には、いくつかの假名を連ねてそれで或意味をあらはす。即ち、個々の文字としてはいつもきまつた音を表はすだけで、きまつた意味をあらはすのではないが、實際に於ては、やはり意味を表はすのである。
 全體、言語としては、いつでも音は或一定の意味を表はす爲に用ゐられてゐるのであつて、或一定の意味を有する言語の形として或きまつた一つづきの音が用ゐられるのである。假名はさういふ言語の音を表はすのであつて、その音を表はすに必要なだけ、即ち、或場合には一つ、或場合には二つ以上連ねてあらはすのである。それ故、假名が音をあらはすといつても、それは言語の音をあらはすかぎり、結局は意味を表はす事になるのである。(もし言語の音を表はさないならば、それは文字ではない。)
假名が音を表はす事は勿論であるが、前述の如く、漢字も亦音を表はすのである。それは即ち漢字のよみとしてあらはれてゐる。それでは音を表はすといふはたらきからみて假名と漢字との間に何等かちがひがあるかどうか。
 假名が音をあらはすのは、言語の音を音として分解して、その分解したものを一つ一つの文字であらはすのである。即ち言語の音は意味を表はすものであつて、それは一つづきの音である。それは言語としては、即ち、意味をもつてをるものとしてはそれ以上分解出來ないものであつても、音としては更に之を分解出來る。假名は、音として分解して得た單位を代表するもので、それが言語を表はす場合には、分解したものを更に結合させて、言語としての一定の音を形にあらはすのである。然るに、漢字は、或意味を表はす一定の音の形全體を分解し分析せず、そのまゝ全體として之をあらはすのである。ここにその間の相違がある。
 かやうに假名は音の形を分析して示し、漢字は分析せず全體をそのまゝ示すとすれば、假名の方は言葉の音の形を明かに精密に示し、漢字は之を明かには示さないやうに考へられる。また、それも事實である。しかしよく考へて見ると、これは唯反面の事實であつて、全局から見れば必ずしもさう言ひ切れないものがある。
 假名は言語の形を分析して示す。分析すれば、精密に音が示せるやうに考へられるが、分析した爲に失はれるものはないかと考へてみるに、それはたしかにあるのである。その明かなのはアクセントである。
 言語に於ては意味をあらはす音の一つづきには、必ず一定のアクセントがある。どこを高く、どこを低く、發音するかのきまりがある。同じ音から出來た語であつても、そのアクセントの違ひによつて、別の語になる(即ち、意味が違ふ)。それ故、アクセントは言語としては大切なものであるが、假名で書けば、このアクセントの違ひは書きわける事は出來ない。
 然るに、漢字に於ては、その「よみ」は一定の意味をもつてゐる語の音の形そのまゝである故に、その語に使ふアクセントも亦一定してゐるのであつて、漢字は唯、音を示すばかりでなく、アクセントをも示すといふ事が出來る。かやうな點に於て、漢字の表音性は假名よりも一層精密であるともいへるのである。
 もつとも假名は音をあらはす文字である故、假名で書いてあれば、普通の場合は、發音はわかる。勿論アクセントはわからぬまでも、大體の音はわかる。漢字の場合は、文字の音は、よみ方を知らなければ全くわからない。さういふ點に於て假名の方が便利だといへる。
 しかしながら、元來、文字は知らない言語を新しく覺える爲のものではなく、わかつてゐる言語を書き、書いた文字から知つてゐる語をおもひ出す爲のものである。知らない語であれば、どんなにその發音だけが正しくわかつても之を理解する事が出來ず、又自分の知らない語ならば之を書くといふ事は出來る筈のものではない。それ故、もし讀み方のわからない場合には之を人に聞いてどんな語であるかを知るべきであつて、勝手に之をよむべきものではない。
 世人はこの點に於て誤解してゐるものが多いやうであるが、まだ讀方を知らない文字に出會ひ又はまだ知らない語を書いた文字に出會つた場合に、それがわからないからといつて、之をその文字の責任に歸するのは根本的にあやまつた考であると信ずる。
 次に、表意性について考へてみる。
 漢字は、意味を表はすものである。たとへ同じ音の語であつても、意味のちがつたものは、違つた文字であらはすのが原則である。それ故、漢字で書いたものは意味を理解するのに容易である。
 假名は、言語を書くのに、語の音を分解して、音に從つて書く。それ故、或る意味をもつてゐる一つづきの音は、一字のもあれば、二字、三字、四字などいろいろある。その上實際の言語としては、音のつながりが、意味にしたがつて區切られてゐるのであるが、普通の書き方としては、その區切が書きあらはされず、ずつとつゞけて書いてある。それ故、どこからどこまでが、一つの意味をあらはすかが、すぐはわからず、讀んでみなければならない。(普通の場合は言葉としてはわかつてゐるのであるから、讀んでみればわかるが、區切りが明瞭でない故、時として誤讀するおそれがある。)それ故、漢字の場合の如く、意味を理解する場合に一目瞭然とは行かない。かやうな點に於て、漢字は假名よりも數等すぐれてゐる。もつとも同じ表音文字であつても、今日の羅馬字の如きは、一語ごとに區切りがあつて、意味を表はす一かたまりの音は一かたまりの文字によつてあらはされてをり、それが意味を理解する場合に便利になつてゐる。かやうになれば、表音文字であつても、そのかたまりが一つのものとなつて、一つの漢字と同じやうな性質のものとなつたのである。我國の假名には、まだ、かやうな習慣が成立つてゐないのである。
 以上は、漢字と假名との表音性と表意性とについての大體論である。勿論、我國では漢字を假名のやうにその意味にかゝはらず專ら表音的に用ゐる用法があつたのであつて、これを萬葉假名といふ。この場合には、その性質は漢字でも假名と同樣である。しかし、漢字はやはり漢字であつて、全く假名の如く表音文字になつたのではなく、同時に表意文字としても用ゐるのであつて、假名的用法は、漢字の特別の用法に過ぎない。
 又一方假名は、表音文字で、言語の音を表はすのがその本來の性質であるが、しかし、又その意味によつて之を用ゐる事もある。假名遣の場合がそれであつて、「い」「ゐ」、「え」「ゑ」、「お」「を」は音としてはそれぞれ全く同じ音であるが、之を同じ處には用ゐず、區別して用ゐるのであるが、どう區別するかといふと、意味によつて區別するのである。即ち「イル」といふ音の語であるとすると、音としては、「イ」は全く同じ音であるが、「入る」「射る」「要る」などの意味の語である場合には「い」を用ゐ、「居る」の意味の語である場合には「ゐ」を用ゐる。「得る」と「彫る」のエも音としては同じであるが、前の意味の語では「える」と書き、後の意味の場合では「ゑる」と書く。これらは假名の違ひによつて意味の違ひを示してゐるのである。
 かやうに、漢字でも必ずしもいつも表意的にのみ用ゐるのでなく、又假名でも、時には音を表はすのみならず意味のちがひを表はす事もあるけれども、普通の場合に於て漢字は表意文字で、假名は表音文字である。さうして前に述べたやうに、漢字は意味を示すことをその特徴とするのであるが、しかし音をあらはさないのではなく、しかも、その音をあらはすはたらきは、或る點では表音文字たる假名よりももつと具體的であつて一層精密であるといつてよい點があるのであり、表意のはたらきに於ては、假名とは比較にならないほど、明瞭で適切である。假名は表音のはたらきに於ては、漢字のもたないやうな長所をもつてゐるとはいふものの、又一方からみれば、まだ不完全で不精密な點もあり、又表意の點に於ては漢字にくらべては、まだ不完全で不便な點が多い。
 さうして、言語はつまり、思想交換がその目的である故、その最も大切なのは、意味であつて、その音の側にはないのである。音が言語に於て大切なのは意味を傳へる手段としてであるが、文字に書いた場合には、必ずしも音によらなくとも文字として目に見える形だけによつても意味を傳へる事が出來るのであるから、文字の場合に大切なのは、その表音性よりも表意性にあるのである。假名と漢字とをくらべて見ると、前に述べたやうに、漢字の方がその表意性が著しく意味を傳へるのに便益が多いとすれば、漢字の文字としての價値は假名にくらべて勝れた點がある事を認めないわけには行かないのである。
勿論私が、文字の意味を大切であるとするのは、その表音性を無視しようとするのではない。ことに、山田孝雄氏が國語史文字篇に文字の本質としてあげられた
1. 文字は思想觀念の視覺的形象的の記號である。
2. 文字は思想觀念の記號として一面言語を代表する。
 といふ説に對しては、むしろ反對の意見をもつものである。文字は單に一面言語を代表するのではなく、全面的に言語を代表するものと考へるのであつて、言語には必ず一定の音があるもので、文字もこの音をあらはせばこそ文字であるのである。即ち、文字ならば必ず一定のよみ方を伴ふのである。もし、それがなく、只觀念思想を表するだけなら文字ではなく符合(記號)にすぎない。實際文字があつても、よみ方を知らない場合があるが、それでも文字である以上は何かきまつたよみ方があると考へるのである。無いとは考へない。又一方文字のあらはす思想觀念といふものも只抽象的の思想觀念ではなく、言語として一定の音であらはされる思想觀念、即ち言語の意味ときまつた思想觀念である。さすれば言語をはなれては、文字はないのである。しかし、それにもかゝはらず、言語の用といふ側から見て意味の方が實際上重きをなし、音の方が閑卻せられる事は事實である。甚しきは、文字は同じであつて、よみ方が全然違つても、やはり思想を通ずる役目をする事は漢文の筆録を見ても明らかである。
 さうして、かやうな事情にあればこそ、更に一層文字のよみ方教育を重視する必要があるのである。
 漢字と假名とが文字としての性質を異にし、それぞれ獨特の長所を有すること上述の如くである。さうして、我國では現今この二種の文字を共に用ゐ、同じ文の中に之を混用してゐる。これはどんな意義を有するものであるか。
 現代の文に於て、主として漢字で書く語と、假名で書く語とは概していへば、その文法上の性質をことにしてゐる。即ち品詞の違ひによるといつてよい。助動詞、助詞及び用言の活用語尾は常に假名で書くのが原則であり、其他の品詞は主として漢字で書くのがならはしになつてゐる。助詞や助動詞及び活用語尾は、古く「てにをは」といはれたものであつて、いつも他の語に伴つて付屬的に用ゐられるものであり、其他の品詞は、比較的獨立性のつよいものであつて、「てにをは」の類を付屬せしめるものである。助詞や助動詞や活用語尾は、語と語との關係や、或は斷定、願望、要求、咏歎のやうな意味を言ひあらはして文の構成上極めて大切なものであるが、それは、其他の品詞のあらはす主要なる意味に付帶してあらはされるものであり、その上、いつも他の語の後に付くものである。その主要なる意味をあらはす語を、その意味をあらはすに適當な極めて印象的な漢字で書き、之に伴ふ意味をあらはす「てにをは」の類をその下に假名で書くのは、これらの各種の語の性質に適つたものであるといふべきである。かやうに漢字と假名とが適當に交錯し、さうして意味から見ても又音から考へても、漢字とそれに伴ふ假名とが一團となつて、その前後に區切りがあるのであつて、假名から漢字に移る所が、自然、音と意味との切れ目となつて、特にわかち書きをしなくとも、わかち書きをしたと同樣の效果をあげることが出來るのであつて、讀むにも甚便利に容易になるのである。これは極めて巧妙な方法であるといふべきである。かやうに考へて來ると、現今普通に行はれる漢字假名まじりの文は、一見複雜にして統一がないやうであるが、國語の文の構造の特質を捉へて漢字と假名との長所を巧に發揮させたもので、我が國民の優れたる直覺と適用の才とのあらはれを見る事が出來るといつて過言ではないであらう。 かやうな點から見ると、漢字をむやみに制限して、之を假名にかへる事は容易に贊成しがたいのであつて、かやうな事については、もつと廣い處から考へて十分の思慮を必要とするのである。

假名遣について 橋本進吉

假名遣といふことは、決して珍しい事ではなく、大抵の方はご存じの事と思ひますが、さて、それではそれは全體どんな事かと聞かれた場合に、十分明らかな解答を與へる事が出來る方は存外少ないのではないかとおもひます。それで假名遣とはどんな事か、又どうして假名遣といふものが起つたかといふやうな、假名遣全般について、一通りの説明を試みたいとおもひます。
 假名遣は、元來假名の遣ひ方といふ意味であります。今日に於ては、さう考へておいてまづ間違ひがないのであります。すなはち、假名遣が正しいとか違つてゐるとかいふのは、假名の遣ひ方が正しいとか間違つてゐるとかいふ事であります。
 ご承知の如く、我國では、漢字と假名とを用ゐて言語を書く事となつて居りますが、假名遣は勿論假名で書く場合に關する事でありまして、同じことばでも漢字で書く場合は、全く之と關係がありません。しかし、假名はもと漢字から出來たもので、假名がまだ出來なかつた時代には、漢字を假名と同じやうに用ゐて日本語を書いたのでありまして、かやうに假名のやうに用ゐた漢字を、萬葉假名と申して、假名の一種として取扱つて居ります。この萬葉假名を以て日本語を書いたものについてもやはり假名遣といふ事を申すのであります。
 かやうに、假名遣は、假名を以て日本語を書く場合の假名の用ゐ方をさしていふのでありますが、元來、假名は、言葉の音を寫す文字でありますから、言葉の音と之を寫す假名とが正しく一致して居つて、その書き方が一定し、それ以外の書き方が無い場合には、どんな假名を用ゐるかなどいふ疑問の起る餘地はないのでありまして、假名の使ひ方、すなはち、假名遣は問題とならないのであります。たとへば「國」を「くに」と書き「人」を「ひと」と書くやうなのは、その外に書き方がありませんから、その假名遣は問題となる事はありません。
 然るに、違つた假名が同じ音に發音せられて、同じ音に對して二つ以上の書き方がある場合、たとへば、イに對して「い」「ゐ」「ひ」、コーに對して「こう」「かう」「こふ」「かふ」といふ書き方があり、キヨーに對して「きやう」「きよう」「けう」「けふ」といふ書き方があるやうな場合に、どの場合にどの書き方即ち假名を用ゐるかが問題となり、假名遣の問題が起るのであります。又「馬」「梅」の最初の音のやうに、之を「ウ」と書いても、又「ム」と書いても、實際の發音に正しくあたらないやうな場合、即ち適當な書き方のない場合にも、亦いかなる假名を用ゐてあらはすべきかといふ疑問が生じて、假名の用法が問題となるのであります。
かやうに、同じ音に對して二つ以上の書き方があつたり、又は、十分適當な書き方が無い場合に限つて、いかなる假名を用ゐるかが問題になるのでありまして、その他の場合は假名の用法は問題とせられないのでありますから、假名遣といふのは、その語義から云へば假名の用法といふ事ではありますが、實際に於ては、あらゆる場合の假名の用法ではなく、その用法が問題となる場合のみに限つて用ゐられるのであります。
 さて、假名遣が正しいとか間違つてゐるとか云ひますが、それは、何かの標準を立てて、或る書き方を正しいと定め、之に違ふものを間違ひとするのであります。それは何を標準とするのでせうか。
 右に述べたやうな、假名の用ゐ方について疑問が起つた場合に、之を解決する方法としては、いろいろのものが考へられます。
 一つは、同じ音に對するいくつかの書き方をすべて正しいものとし、どの方法を用ゐてもよいとするのであります。たとへば「親孝行」の「孝行」は「こうこう」でも「かうかう」「こふこふ」「かふかふ」でも「こうかう」「こうかふ」「こうこふ」「こふこう」「かうこう」「かうこふ」「かうかふ」「かふこう」「かふこふ」「かふかう」でも、どれでもよいとするのであります。つまり「コーコー」と讀めさへすれば、どう書いてもよいといふのであります。かやうなやり方では、同じことばが、いろいろの假名で書かれる事となつて、統一がつかない事になります。
 第二の方法は、同じ音を示すいろいろの書き方の中、一つだけを正しいものときめて、その音はいつもその假名で書き、その他の書き方はすべて誤であるとするものであります。コーの音に對して「こう」「こふ」「かう」「かふ」などの書き方があるうち、例へば「こう」を正しいものとし、その他を誤とするのであります。かやうにすれば、いつも同じ語は同じ假名で書かれ、假名で書いた形はいつも定まつて統一されます。さうしてどんな語であつても、同じ音はいつも同じ假名で書かれる事となります。即ち言語の音に基づいて假名を統一するのであります。語の如何に係はらず、同一の音は同一の假名で書き表はすといふ意味で、これを表音的假名遣といひます。
 第三の方法は、第二の方法と同じく、同じ音を表はすいろいろの書き方の中、一つを正しいものと認めるのでありますが、それは、同じ音であれば、いつも同じ假名で書くのではなく、これまで世間に用ゐられてきた傳統的な、根據のある書き方を正しいと認めるものであります。かうなると、同じ音であつても、ことばによつて書き方が違つて來るのでありまして、同じコーの音でも「孝行」は「かうかう」、甲乙丙丁の「甲」は「かふ」、「奉公」の「公」は「こう」、「劫」は「こふ」と書くのが正しい事となります。これは傳統的の書き方を基準とするところから、歴史的假名遣といはれます。
 どんな假名を用ゐるのが正しいかを定めるには、大體以上三つの違つた方法があるのでありまして、第一の方法は、さう發音する事が出來る假名であれば、どんな假名を用ゐてもよいとするのでありますから、特別に假名遣を覺える必要はないのであります。いはゞ假名遣解消論とでもいふべきものでありませう。之に對して第二第三の方法は、或一つのきまつた書き方を正しいとし、その他のものは誤であるとするのでありますから、特別にその正しい書き方を學ぶ必要があります。その中で、第二のは、言語の發音に基ゐて、その音を一定の假名で書くのでありますから、その言語の正しい發音さへわかれば、正しく書ける譯であります。第三のは、同じ音であつても、言葉によつてその正しい書き方が違つてゐるのであり、同じ音に讀むいくつかの書き方にはそれぞれきまつた用ゐ場所があるのであつて、どの語にはどの假名を用ゐるかがきまつてをり、又同じ假名でも、場合によつて違つた讀み方があるのでありまして、その使ひわけがかなり複雜であります。同じオと發音する假名でも、「大きい」の最初のオには「お」(「おくやま」の「お」)を用ゐ二番目のオには「ほ」を用ゐ、「青い」の二番目の音のオには「を」(「ちりぬるを」の「を」)を用ゐ、「葵」の二番目の音のオには「ふ」を用ゐます。又同じ「ふ」の假名を「買ふ」の時には「ウ」とよみ、「たふれる」(倒)の時にはオと讀みます。「けふ」(今日)の時は上の字と合して「キョー」とよみ、甲乙丙の時には「かふ」と書いて「コー」と讀みます。「急行列車」の急は「きふ」と書いて「キュー」とよみます。「う」の假名も「牛馬」の時には「ウ」とよみ「馬」の時にはウマと書いてmmaとよみます。
 今日社會一般に正しい假名と認められてゐるのは、以上三つの方法の中、第三のもの即ち歴史的假名遣であります。これは今申しましたやうに、かなり複雜なものでありまして、實際に於ては、誰でも皆之を正しく用ゐてゐるのでなく、隨分誤つた假名を書く事もありますが、小學校や中學校の教科書の類も、この假名遣を用ゐてをりますし、政府の法令の類もこの假名遣に從ひ、新聞なども、大體この假名遣により、たまたま間違ひがあつても、それは少數で例外と見るべきであり、また、多くの人々は、十分この假名遣を知らない爲、間違つた書き方をする場合があつても、その自分の書き方が正しいので、之と違つた正しい假名遣の方が間違つてゐるとは考へてゐません。又、一部の人々は、發音に隨つて書くといふ主義(即ち前に擧げた第二の方法)を正しいと主張して實行して居りますけれども、これは、現今では、只一部の人々にとゞまつて、一般には認められて居ませんから、只今のところで、正しい假名遣と見るべきものは、第三の方法によるもの即ち歴史的假名遣であるといふべきでありませう。唯、その假名遣の知識が徹底してゐない爲に、正しい假名遣がわからず、讀めさへすればよいといふので、間違つた假名遣を用ゐる場合があるといふのが現在に於ける實状であると思はれます。
 この假名遣は、かなり面倒なものでありますから、之をすべて發音の通り書く方法に改めようとする考や運動が、既に明治時代からありまして、時々世間の問題となり、現に一昨年も、この論の可否について新聞や雜誌の上で論爭がありました。しかし、將來はとにかく、今日に於ては右に述べたやうに歴史的假名遣が一般に正しいものと認められてゐると見るべきでありますから、この現に行はれてゐる假名遣について、もうすこし説明したいとおもひます。
 現行の假名遣は、江戸時代の元祿年間に契沖阿闍梨が定めたものに基づいて居るのでありますが、契冲は決して勝手にきめたものではなく、平安朝半以前の假名の用法に基づいてきめたものであります。この時代には片假名平假名が出來て盛に行はれたのでありまして、「いろは」で區別するだけの四十七字の假名は、すべてそれぞれ違つた發音をもつてをり、現今では同音に發音するいとゐ、えとゑ、おとををも皆別々の音を示してをりました。即ち四十七字の假名が大體に於てその當時の言語の發音を代表してゐたのであります。平安朝半以後になると、これ等の音が變化して同じ音となり、それ等の音の區別は失はれました。もつと古く奈良朝の頃まで遡ると、これ等の區別はありますが、その外に、なほ假名では區別しないやうな音の區別がありました。たとへば、「け」でも「武(タケ)」や「叫(サケブ)」の「けは」「竹(タケ)」や「酒(サケ)」の「け」とは別の音であつたと認められます。この區別は平假名片假名にはないので、假名遣の問題とはなりません。これ等の音は、平安朝に入つては同音となり、假名の出來た時代には同じ假名で書かれたのであります。又奈良朝から平安朝の極初めまでは、ア行のエとヤ行のエの區別、即ちエ(e)とイェ(ye)の區別があつたのでありますが、この區別も、假名では書きあらはされないのであります。(例へば「獲物」のエはe「笛」「枝」のエはyeでありました。)
 それ故、契沖のきめた假名遣は、平安朝の半以前の言語の發音の状態を代表するものであります。この時代には、現今同じ發音であつても、違つた假名で書くものは、違つた音であり、今は違つた音でよむものでも、同じ假名で書くものは、同じ發音でありました。それが、それ以後の音變化の結果、假名と音との間に相違が出來たのであります。犬のイは「い」(「いろは」の「い」)であり、田舎のイは「ゐ」(「ならむうゐ」)の「ゐ」)でありますが、「い」は古くはイ(i)の音、「ゐ」はウィ(wi)の音であつたのであります。それが後になつてウィ(wi)がイ(i)と變化して、どちらも同じiの音になりました。これによつて觀ますと、この假名遣は平安朝半以前の言語の發音を代表してゐるものであります。ところが、右のやうな發音變化の結果、もと違つた音が同じ音になり、又同じ音が違つた音になつたにもかゝはらず、その假名は昔のまゝの假名を用ゐるのを正しいとして之を守つて來た爲に、發音と假名との間に相違を生じ、違つた假名を同音に發音し、又同じ文字を違つた音でよむといふ事になつたのであります。
 かやうに、日本語の發音の變化は、假名と音との間に不一致を生ぜしめる原因となつたのでありまして、これがまた假名遣なるものを生ぜしめる原因となつたのでありますが、日本語の音の變化が假名遣とどういふ風に關係してゐるかを猶少し考へて見たいと思ひます。
 平安朝以前に於ても、前述べた如く音の變化はありましたが、その時代には假名遣の問題は起らなかつたのであります。これは萬葉假名のみを用ゐた奈良時代には、假名は同じ音ならばどんな字を用ゐてもよいといふ主義で用ゐられたのでありまして、平安朝に入つても、同じ主義が行はれた爲、古くは發音に區別があつても、既に同音となつた以上は同じ假名と認めて用ゐたからでありまして、かやうな時代に於ては、假名遣の問題などは全く起らなかつたのであります。
 平安朝に入つて、片假名平假名が出來て、次第に廣く用ゐられるやうになりましたが、平安朝以後、言語が次第に變化して、イヰヒ、オヲホ、エヱヘ、ワハ、ウフなどが同じ發音になり、ウマやウメなどのウもm音となりましたが、假名に書く場合には、これまで通りの假名を用ゐる事が多く、假名と發音との間に違ひが生ずるやうになつたと共に、時には實際の發音の影響を受けて發音通りの假名を用ゐる事もあつて、假名の混亂が生じ、同じ語が人により場合によつていろいろに書かれるやうになり、鎌倉時代に入るとますます混亂不統一が甚しくなりました。この時、和歌の名匠として名高い藤原定家が、この假名の用法を整理統一する事を企て、所謂定家假名遣の基礎を作りました。こゝにおいてはじめて假名遣といふ事が起つたのであります。定家卿が定めたのは、「をお、いゐひ、えゑへ」の八つの假名づかひであつて、まだ不完全でありましたが、その後吉野朝時代に、行阿といふ人が、ほ、わ、は、む、う、ふ、の六條を補ひました。
 言語の音の變化がこゝまでに及んで、はじめて假名遣といふ事が注意されるやうになつたのでありますが、音の變遷はその後もたえません。即ち室町時代までは、ジとヂ、ズとヅの區別があり、又、アウ、カウ、サウの類の「オー」と、オウ、コウ、ソウの類の「オー」と、の間にも發音上區別がありましたが、江戸時代には、この區別がなくなつて、それぞれ同音になつた爲に、これ等の假名遣が問題となるやうになりました。江戸初期以來の假名遣の書には、これ等の假名遣が説いてあります。
 その後江戸時代に於て、菓(クワ)子、因果(イングワ)などのクワ、グワ音がカ音に變じましたので、又その假名遣が問題となりました。
 かやうに音が變化して行くに從つて、假名遣の範圍がひろまつて行つたのであります。さうして今日の假名遣に於て見るやうな、いろいろな條項が生じたのであります。
 要するに、假名遣といふものは、音の變化によつて起つたもので、現行の假名遣は、或程度まで、過去の日本語の音聲の状態をあらはし、その變遷の跡を示してゐるものでありまして、ことばの起源や歴史などを知る爲には有益なものであり、古い書物その他を讀むにも必要なものであります。 西洋の國々では主として、ローマ字をもつてその國語を書きますが、その場合に、綴字法(スペリング)といふ事があります。これが日本語に於ける假名遣に似たものであります。ローマ字は日本の假名と同じく音を表す文字であり、同じ音をあらはすにいろいろの書き方があり、どんな文字で書くかは、語によつてきまつてゐる事など今の假名遣と同じことであります。さうして、西洋語の綴りは、やはり、過去の發音を代表してゐるのであつて、その發音の變遷の結果、文字と發音との間に不一致が出來た事までも、日本の假名遣と同じことであります。たゞ違つた點は、西洋のスペリングは、どんな語に於てもある事でありますが、日本の假名遣は、假名が違つても同音である場合や、同じ文字に二つ以上の讀み方があつて、用ゐ場所が疑問になる場合にかぎられ、さうでない場合、たとへば、アサ(朝)やヒガシ(東)などの場合には全然關係がない事であります。

表音的假名遣は假名遣にあらず 橋本進吉



 假名遣といふ語は、本來は假名のつかひ方といふ意味をもつてゐるのであるが、現今普通には、そんな廣い意味でなく、「い」と「ゐ」と「ひ」、「え」と「ゑ」と「へ」、「お」と「を」と「ほ」、「わ」と「は」のやうな同音の假名の用法に關してのみ用ゐられてゐる。さうして世間では、これらの假名による國語の音の書き方が即ち假名遣であるやうに考へてゐるが、實はさうではない。これらの假名は何れも同じ音を表はすのであるから、その音自身をどんなに考へて見ても、どの假名で書くべきかをきめる事が出來る筈はない。それでは假名遣はどうしてきまるかといふに、實に語によつてきまるのである。「愛」も「藍」も「相」も、 その音はどれもアイであつて、そのイの音は全く同じであるが、「愛」は「あい」と書き「藍」は「あゐ」と書き「相」は「あひ」と書く。同じイの音を或は「い」を用ゐ或は「ゐ」を用ゐ或は「ひ」を用ゐて書くのは、「愛」の意味のアイであるか、「藍」の意味のアイであるか、「相」の意味のアイであるかによるのである。單なる音は意味を持たず、語を構成してはじめて意味があるのであるから、假名遣は、單なる音を假名で書く場合のきまりでなく、語を假名で書く場合のきまりである。
 この事は古來の假名遣書を見ても明白である。たとへば定家假名遣といはれてゐる行阿の假名文字遣は「を」「お」以下の諸項を設けて、各項の中にその假名を用ゐるべき多くの語を列擧してをり、所謂歴史的假名遣の根元たる契沖の和字正濫抄も亦「い」「ゐ」「ひ」以下の諸項を擧げて、それぞれの假名を用ゐるべき諸語を列擧してゐる。楫取魚彦の古言梯にゐたつては、多くの語を五十音順に擧げて、一々それに用ゐるべき假名を示して、假名遣辭書の體をなしてゐるが、辭書はいふまでもなく語を集めたもので、音をあつめたものではない。これによつても假名遣といふものが語を離れて考へ得べからざるものである事は明瞭である。
 表音的假名遣といふものは、國語の音を一定の假名で書く事を原則とするものである。その標準は音にあつて意味にはない。それ故、如何なる意味をもつてゐるものであつても同じ音はいつも同じ假名で書くのを主義とするのである。「愛」でも「藍」でも「相」でもアイといふ音ならば、何れも「あい」と書くのを正しいとする。それ故どの假名を用ゐるべきかを定めるには、どんな音であるかを考へればよいのであつて、どんな語であるかには關しない。勿論表音的假名遣ひについて書いたものにも往々語があげてある事があるが、それは只書き方の例として擧げたのみで、さう書くべき語の全部を網羅したのではない。それ以外のものは、原則から推して考へればよいのである。然るに古來の假名遣ひ書に擧げた諸語は、それらの語一つ一つに於ける假名の用法を示したもので、そこに擧げられた以外の語の假名遣は、必ずしも之から推定する事は出來ない。時には推定によつて假名をきめる事があつても、その場合には、音を考へていかなる假名を用ゐるべきかをきめるのではなく、その語が既に假名遣の明らかな語と同源の語であるとか、或はそれから轉化した語であるとかを考へてきめるのであつて、やはり個々の語に於けるきまりとして取扱ふのである。
 以上述べた所によつて、古來の假名遣は(定家假名遣も所謂歴史的假名遣も)假名による語の書き方に關するきまりであつて、語を基準にしてきめたものであり、表音的假名遣は假名による音の書き方のきまりであつて、音を基準としたものである事が明白になつたと思ふ。

 それでは假名遣といふものは何時から起つたであらうか。
 普通の假名、即ち平假名片假名は、平安初期に發生したと思はれるが、それ以前にも漢字を國語の音を表はす爲に用ゐた事は周知の事實であつて、之を假名の一種と見て萬葉假名又は眞假名と呼ぶのが常である。この萬葉假名の時代に於ては、國語の音を表はす爲に之と同音の漢字を用ゐたのであるから、當時は表音的假名遣が行なはれたといふやうに考へられるかも知れないが、しかしこの時代には假名として用ゐられた漢字は同音のものであれば何でもよかつたのであつて、それ故、同じ音を表はすのに色々の違つた文字を勝手に用ゐたのである(それは、諸書に載せてある萬葉假名の表に、同じ假名として多くの文字が擧げられてゐるのを見ても明らかである)。その結果として、同じ語はいつも同じ文字で書かれるのでなく、さまざま違つた文字で書かれて、文字上の統一は無かつたのである(たとへば「君」といふ語は「岐美」「枳瀰」「企弭」「耆瀰」「吉民」「伎彌」「伎美」のやうな、色々の文字で書かれて文字に書かれた形は一定しない)。處が、現代の表音的假名遣に於ては、同じ音はいつも同じ文字で書き、違つた音はいつも違つた文字で書くのが原則であり、從つて文字の異同によつて直に音の異同を知る事が出來るのであるが、上述の如き萬葉假名の用法によつては、異なる音は異なる文字で書かれてゐるが、同じ音も亦異なる文字で書かれる故、文字の異同によつて直に音の異同を判別する事は出來ない。又、萬葉假名の時代には同じ音の文字なら、どんな字を用ゐてもよいのであるから、もし之と同じ原則によるならば、現代に於て、「い」「ゐ」、「え」「ゑ」、「お」「を」はそれぞれ同じ音を表はしてゐる故、「犬」を「いぬ」と書いても「ゐぬ」と書いても、「家」を「いえ」と書いても「いゑ」と書いても(又「いへ」と書いても)、「奧」を「おく」と書いても「をく」と書いても宜しい筈であるが、今の表音的假名遣では、かやうな事を許さない。さすれば、この時代の萬葉假名の用ゐ方は、現代の表音的假名遣とは趣を異にするものであるといはなければならない。
 勿論萬葉假名の時代に於ても、或種の語に於ては、それに用ゐる文字がきまつたものがある。地名の如きは、奈良朝に於て國郡郷の名は佳字を擇んで二字で書く事に定められたのであつて、その中には「紀伊」、「土佐」、「相模」、「伊勢」等の如く、萬葉假名を用ゐたものがあり、又、姓や人名にもさういふ傾向がかなり顯著であるが、これは特殊の語に限られ、一般普通の語に於ては、同音ならばどんな漢字を用ゐてもよいといふ原則が行なはれたものと思はれる。かやうに、同音の文字が萬葉假名として自由に用ゐられ何等の制限もなかつた時代に於いては、どの假名を用ゐるべきかといふ疑問の起こる事もなく、假名遣といふやうな事は全然問題とならなかつたと見えて、さういふ事の考へられた痕跡もないのである。
 平安朝に入つて萬葉假名から平假名片假名が發生して、次第に廣く流行するに至つたが、これらの假名に於ても同音の假名として違つた形の文字(異體の假名)が多く、殊に平假名に於ては多數の同音の文字があつて、それから引續いて今日までも行なはれ、變體假名と呼ばれてゐる。片假名もまた初の中は、同音で形を異にした文字がかなりあつて、鎌倉時代までもその跡を斷たなかつたが、これは比較的早く統一して室町江戸の交にいたれば、ほぼ一音一字となつた。
 この片假名平假名に於ても、亦萬葉假名に於けると同樣、同音の假名はどれを用ゐてもよく、同語は必ずしもいつも同一の假名では書かれなかつたのであつて、從つて、假名の異同によつて直にそれの表はす音又は語の異同を知る事は出來ないのである。しかし、平安朝の初期には「天地<アメツチ>の詞」が出來、其の後、更に「伊呂波歌」が出來て、之を手習の初に習つたのであつて、これ等のものは、アルファベットのやうに、當時の國語に用ゐられたあらゆる異る音を表はす假名を集めて詞又は歌にしたものであるから、これによつて、當時多く用ゐられた種々の假名の中、どれとどれとが同音であり、どれとどれとが異音であるかが明瞭に意識せられ、同音の假名は、たとひちがつた文字であつても同じ假名と考へられるやうになつて今日の變體假名といふやうな考が生じたであらうと思はれる。とはいへ、かやうなものが行なはれても、假名の使用に關して或制限や或特別の規定が出來たのでなく、同音の假名ならどれを用ゐてもよかつたのであるから、やはり假名遣の問題は起らなかつたものと思はれる。現に平安朝初期に起つた音變化によつて、ア行のエとヤ行のエとが同音となり、その爲「天地の詞」の四十八音が一音を減じて「伊呂波歌」では四十七音になつたけれども、もと區別のあつた音でも、それが同音となつた以上は、もと各異る音をうつした假名も、同音の假名として區別なく取扱はれたものらしく、その假名の遣ひ方については何等の問題も起らなかつたやうである。

 然るに鎌倉時代に入ると、はじめて假名遣といふことが問題になつたのである。假名文字遣の最初にある行阿(源知行。吉野時代の人)の序によれば、假名遣の濫觴は行阿の祖父源親行が書いて藤原定家の合意を得たものであるといつてをり、藤原定家の作らしく思はれる下官集の中にも假名遣に關する個條があつて、先逹の間にも沙汰するものが無かつたのを、私見によつて定めた由が見えてゐるのであつて、鎌倉初期に定家などがはじめて之を問題として取り上げて、假名遣を定めたものと考へられる。
 この假名遣は、「を」と「お」、「ゐ」と「い」と「ひ」、「え」と「ゑ」と「へ」の如き同音の假名の用ゐ方に關するものであつて、それらの假名をいかなる語に於て用ゐるかを示してをり、今日いふ所の假名遣と全然同じ性質のものである。
 この時代になつてどうして假名遣の問題が起つたかといふに、それは平安中期以後の國語の音の變化によつて、もと互に異る音を表はしてゐたこれらの假名が同音に歸した爲である事は言ふまでもない。しかし、以前の如く、同音の假名は區別なく用ゐるといふ主義が守られてゐたならば、これらの假名が同音に歸した以上は、「を」でも「お」でも、又「い」でも「ゐ」でも「ひ」でも同じやうに用ゐた筈であつて、之を違つた假名として、區別して用ゐるといふ考が起るべき理由はないのである。もつとも、「を」と「お」、「い」と「ゐ」と「ひ」はそれぞれ違つた文字であるけれども、當時、一般にどんな假名にも同音の假名としていろいろの違つた文字(異體の假名)があつて、區別なく用ゐられてゐたのである故、これらの假名も同音になつた以上は同音の假名として用ゐて差支なかつた筈である。然るにこれらの假名に限つて、同音になつた後も假名としては互に違つたものと考へられたのは、特別の理由がなければならない。私は、この理由を當時一般に行なはれてゐた「伊呂波歌」に求むべきだと考へる。即ち、これらは、伊呂波歌に於て別の假名として教へられてゐた爲に、最初から別の假名だと考へられ、それが同音になつた後もさうした考はかはらなかつたので、同音に對して二つ以上の違つた假名がある事となり、それらの假名を如何なる場合に用ゐるかが問題となつて、ここに假名遣といふ事が生じたものと思はれる。

 前にも述べた通り、萬葉假名專用時代に於ても、片假名平假名發生後に於ても、假名は音を寫す文字として用ゐられた。當時の假名の遣ひ方は、同音の文字であればどんな文字を用ゐてもよいといふ點で現代の表音的假名遣とは違つてゐるが、音を寫すといふ主義に於ては之と同一である。しかるに、もと違つた音を表はしてゐたいくつかの假名が同音となつてしまつた鎌倉時代に於て、それらの假名がやはり假名としては別々のものであり、隨つて區別して用ゐるべきものであるといふ考の下に、その用法を定めようとしたのが假名遣であるが、この場合に、その假名を定める基準たるべきものは音そのものに求める事は絶對に不可能であつて(音としてはこれらの假名は全く同一であつて、區別がないからである)、これを他に求めなければならない。そこで、新に基準として取り上げられたのが語であつて、音は言語に於ては、それぞれ違つた意味を有する語の外形として、或は外形の一部分として、常にあらはれるものである故に、その一々の語について、同音の假名の何れを用ゐるかをきめれば、一定の語には常に一定の假名が用ゐられて、假名の用法が一定するのである。かやうに假名遣に於て假名の用法を決定する基準が語であつた事は、下官集に於ても假名文字遣に於ても、各の假名の下に、之を用ゐるべき語を擧げてゐるによつても知られるが、また、源親行が父光行と共に作つた源氏の註釈書「水原抄」の中の左の文によつても諒解せられる。
眞字は文字定者也。假字は文字づかひたがひぬれは義かはる事あるなり水原(河海抄十二梅枝「まむなのすゝみたるほどにかなはしとけなきもじこそまじるめれとて」の條に引用したものによる)
 これは、「漢字は語毎に用ゐる文字がきまつてゐる。假名は音に從つて書けばよいやうに思はれるけれども、その文字遣、即ち假名遣を誤るとちがつた意味になる事がある」と解すべきであらう(源氏の原文の意味はさうではあるまいが、光行はさう解釋したとみられる)。假名遣を誤つた爲に他の意味になるといふのは、同音の假名でも違つた假名を用ゐれば、別の語となつて、誤解を來す事がある事を指していふのであつて、かやうに、假名遣を意味との關聯に於て説いてゐる事は、假名は語によつて定まるもの、即ち假名の用法は語を基準とすると考へてゐた事を示すものである。
 それでは、假名遣に於けるかやうな主義は定家などが全く新しく考へ出したものかといふに、必ずしもさうではあるまいと思はれる。全體、當時の假名遣が、何を據り所として定められたかについては、假名文字遣は何事をも語つてゐないが、下官集には「見舊草子了見之」とあつて、假名文學の古寫本に基づいてゐる事を示してゐる。古寫本といつても何時代のものか明かに知る由もないが、平安中期以後、國語の音變化の結果として、もと區別のあつた二つ以上の音が同音となり、之をあらはした別の假名が同音に讀まれるやうになつたが、音と文字とは別のものである故、かやうに音が變はつた後も、假名(ことに假名ばかりで書く平假名)はもとのものを用ゐる傾向が顯著であつて、時としては同音の他の假名を用ゐる事があつても、大體に於て古い時代の書き方が保存せられてゐた時代がかなり永くつゞゐたものと考へられる。しかるに時代が下つて鎌倉時代に入ると、その實際の發音が同じである爲、同音の假名を混じ用ゐる事が多くなり、同じ語が人によつて違つた假名で書かれて統一のない場合が少なくなかつたので、古寫本に親しんだ定家は、前代にくらべて當時の假名の用法の混亂甚だしきを見て、これが統一を期して假名遣を定めようとしたものと思はれる。
 さて、右の如く、もと異音の假名が同音になつた後も、なほ書いた形としてはもとの假名が保存せられて、他の同音の假名を用ゐる事が稀であつたのは、何に基づくのであらうか。これは、もと違つてゐた音が、同音になつた後にもなほ記憶せられてゐた爲とはどうしても考へられない。既に音韻變化が生じてしまつた後にはもとの音は全然忘れられてしまふのが一般の例であるからである。これは、古寫本の殘存又はその轉寫本の存在などによつて假名で寫した語の古い時代の形が之を讀む人の記憶にとゞまつてゐた爲であるとしか考へられない。即ち、古く假名で書いた或語の形は、後に同音になつた假名でも、その中の或一つのものに定まつてゐた爲、その語とその假名との間に離れがたき聯關を生じて、自分が新に書く場合にも、その語にはその假名を用ゐるといふ慣習がかなり強かつたのであると解すべきであらう。さすれば、明瞭な自覺はなかつたにせよ、既にその時分から、語によつて假名がきまるといふ傾向があつたとしなければならないのである。
 一般に文字を以て言語を寫す場合に、いかなる語であるかに從つて(たとひ同音の語でも意味の異るに從つて)之に用ゐる文字がきまるのは決して珍しい事ではなく、表意文字たる漢字に於てはむしろその方が正しい用法である。漢語を表はす場合は勿論のこと(同じコーの音でも、「工」「幸」「甲」「功」「江」「行」「孝」「效」「候」など)漢字を以て純粹の國語を表はす場合にもさうである。(「皮」と、「河」、「橋」と「箸」、「琴」と「事」と「言」など)唯、漢字を假りて國語の音を表はす場合(萬葉假名)はさうでなく、同じ語を種々の違つた文字で表はす事上述の如くであるが、この場合には漢字が語を表はさず音を表はすからであつて、しかも、さういふ場合にも、或特殊の語(地名、姓、人名など)に於ては語によつて之を表はす文字が一定する傾向があつた事、これも上に述べた通りである。假名の場合は漢字とは多少趣を異にし、同音の假名は、文字としては違つたものであつても同じ假名と見做す故、同じ語をあらはす文字の形は必ずしも常に一定したものではないけれども、或語のオ音には常に「を」(又は之と同じ假名)を用ゐて、「お」又は「ほ」の假名(又はそれらと同じ假名)を用ゐないといふ事になれば、その語と「を」(及び之と同じ假名)との間には密接な關係を生じて、その假名でなければ直にその語と認めるに困難を感じ、又は他の語と誤解するやうになるのは自然である。
 かやうに一方に於て漢字が語によつて定まるといふ事實があり、又一方に於て、假名で書く場合にも、同音でありながら違つたものと認められた假名は、語によつてその何れか一つを用ゐる傾向があつたとすれば、新に假名遣の問題が起り、かやうな同音の假名の用法の制定が企てられた場合に、語を基準とするのは最自然なことといはなければならない。(音を基準にしようとしても不可能な事は前述の通りである)。
 以上述べ來つた如き事情と理由とによつて、假名遣といふものは、それが問題となつた當初から、問題の假名を、語を表はすものとして取扱つて來たのであり、その場合に假名を定める基準となつたものは、單にどんな音を表はすかでなく、更にそれより一歩を進めた、どんな語を表はすかに在つたのである。
 かやうにして萬葉假名の時代から平假名片假名發生後に至るまで、純粹に音をあらはす文字としてのみ用ゐられて來た假名は、少くとも假名遣という{底本のママ}事が起つてからは、單なる音を表はす文字としてでなく、語を表はす文字として用ゐられ、明かにその性格を變じたのである。(但し、この時からはじめて語を表はす文字となつたか、又はもつと前からさうなつてゐたかは問題であつて、前に述べた所によれば、少くとも假名遣に關係ある問題の假名については以前よりそんな傾向はあつたとするのが妥當なやうであり、その他の假名については明瞭な證據が無いからわからないが、やはりそんな性質のものと考へられるやうになつてゐたかも知れない。同じ音の假名ならどんな假名を用ゐてもよいからといつて、それ故、音を表はすだけのものであると速斷するのは危險である。何となれば、萬葉假名の時代と違つて「天地」の詞や「伊呂波」のやうなものが行なはれてゐた時代には、それの中に現はれた假名だけが代表的のものと認められ、これと違つた假名は今の變體假名と同じく、代表的の假名と全く同樣なものと考へられ、從つて、假名で書いた語は、たとひ假名としての形は違つてゐても、或一定の假名で書かれてゐると考へた事もあり得べきであるからである)。

 かやうに、假名遣に於ては、その發生の當初から、假名を單に音を寫すものとせずして、語を寫すものとして取扱つてゐるのである。さうして假名遣のかやうな性質は現今に至るまでかはらない事は最初に述べた所によつて明かである。然るに今の表音的假名遣は、專ら國語の音を寫すのを原則とするもので、假名を出來るだけ發音に一致させ、同じ音はいつでも同じ假名で表はし、異る音は異る假名で表はすのを根本方針とする。即ち假名を定めるものは語ではなく音にあるのである。これは、假名の見方取扱方に於て假名遣とは根本的に違つたものである。かやうに全く性質の異るものを、同じ假名遣の名を以て呼ぶのは誠に不當であるといはなければならない。これは發生の當初から現今に至るまで一貫して變ずる事なき假名遣の本質に對する正當な認識を缺く所から起つたものと斷ぜざるを得ない。
 表音的假名遣は、音を基準とし、音を寫すを原則とするものであるとすれば、一種の表音記號と見てよいものである。表音記號は、言語の音を目に見える符號によつて代表させたもので、同じ音はいつも同じ記號で、違つた音はいつも違つた記號で示すのを趣旨とする。さうして、表音記號を制定するについては、實際耳に聞える現實の音(音聲)を忠實に寫すものや、正しい音の觀念(音韻)を代表するものなど、種々の主義があり、又、ローマ字假名など既成の文字を基礎とするものや、全然新しい符號を工夫するものなど種々の方法があるが、その中、假名に基ゐて國語の音韻を寫す表音記號は、その主義に於ても方法に於ても、表音的假名遣と全然合致するものである。それ故表音的假名遣はその實質に於ては一種の表音記號による國語の寫し方と見得るものであり、又それ以外にその特質は無いものである。勿論表音的假名遣は、實用を旨とするものである故、必ずしも精細に國語の音を寫さず、又その寫し方に於ても多少曖昧な所もあつて、表音記號としては不完全であるが、表音記號でも、實用を主とした簡易なものもあるのであるから、かやうな故を以て表音記號とは全然別のものであるといふ事は出來ない。しかし表音的假名遣を實際に行ひ世間通用のものとする爲には、從來の假名遣と妥協しなければ不便多く、その目的を逹し難い憂がある爲に、これまで提出された表音的假名遣には、從來の假名遣に於ける用法を加味したものがある。例へば大正十三年十二月臨時國語調査會決定の假名遣改定案に於ては、助詞のハ・ヘ・ヲに限り從來の假名遣を保存した如きはその例であつて、この場合には、その音によらず、如何なる語であるかによつて假名を定めたのである。それ故、この部分だけは假名遣といふ事が出來やうが、これは二三の語のみに限つた例外的のものである。これだけが假名遣であるからといつて、全部を假名遣といふのは勿論不當である。
 右のやうな論に對して或はかういふ説を立てるものがあるかも知れない。
 表音的假名遣は、例へば同音の假名「い」「ゐ」「ひ」に對してその中の「い」を用ゐ、「え」「ゑ」「へ」に對してその中の「え」を用ゐるなど、同音の假名がいくつかある中でその一つに一定したものであつて、假名遣に於て、同音の假名の中、この假名はどの語に用ゐるといふやうに、その假名の用法を一定したのと同樣である。それ故、これも假名遣と呼んで、差支へないではないかと。
 この説は當らない。表音的假名遣に於ては、いくつかの同音の假名の中、一つだけを用ゐて他は用ゐないのを原則とする(これは同じ音はいつも同じ假名で書くといふ主義からいへば當然である)。然るに假名遣では、同音の假名はすべて之を用ゐて、それぞれいかなる場合に用ゐるかをきめたのである。この事は實に兩者の間の重大な相違であつて、假名遣といふ問題の起ると起らないとの岐れるのは懸つて此處にあるのである。前にも述べた通り假名は最初から、同音の文字ならばどんな文字でもその音を表はす爲に區別なく用ゐられた。もしこの主義がいつまでも引續いて行なはれたならば、「い」も「ゐ」も「ひ」も同じイ音になつてしまつた時代では、「い」「ゐ」「ひ」は同音異體の同じ假名として區別なく用ゐられ、それ等の假名の用法については何等の疑問も起らず、假名遣といふ事が問題になる事はなかつたであらう。右のやうな假名の用法は、表音的假名遣に於ける假名の用法に近いものではあるが、まだ之と全く同じではない。何となれば「い」「ゐ」「ひ」をイ音を表はす同じ假名とみとめてその中の何れを用ゐてもよいといふのは、表音的假名遣に於てイ音を表はすに「い」を用ゐて「ゐ」「ひ」を用ゐないといふのと同じくないからである。しかし、かやうな假名の用法を整理して、一つの音にはいつも同じ一つの假名を用ゐる事にすれば、イ音を表はす「い」「ゐ」「ひ」は「い」で書く事になつて、表音的假名遣と全然同一になる。かやうな整理は、普通の假名に於て、同音の變體假名を整理して唯一つのものに定めると全く同性質のもので(カ音には「か」を、キ音には「き」を用ゐて、他の變體假名を用ゐないのと同樣である)假名遣に於ける假名の取扱方とは全然別種のものである。もし、實際に於て假名の用法がこんな方向に進んだのであつたならば、今普通いふやうな意味に於ける假名遣といふ事は起らなかつたであらう。然るに事實に於ては、前述の如く「い」「ゐ」「ひ」等の假名が同音になつた後も、猶これ等の假名は文字としては別の假名と考へられてゐたのであつて、そこで、それらの假名をどう用ゐるべきかといふ疑問がおこり、こゝにはじめてこれらの假名の用法即ち假名遣が問題になつたのである。もしこの場合に、これ等の假名はすべて同音であつて、その中の一つさへあれば音を表はすには十分である故、一つだけを殘して其他のものを廢棄したとしたならば、假名はどこまでも音を表はすものとして存續したであらう。然るに、當時に於ては、國語の音をいかなる假名によつて表はすかといふ事が問題となつたのでなく、もとから別々の假名として傳はつて來た多くの假名の中に同音のものが出來た爲、それを如何に區別して用ゐるかといふ事が問題となつたのである。それ故、同音のものを廢棄するといふやうな事は思ひも及ばなかつたであらう。即ち假名遣は最初から同音の假名のつかひわけといふ問題がその本質をなしてゐるのであり、從つて之を定める基準としては語によらざるを得なかつたのである。さすれば、同音の他の假名を廢して、音と假名とを一致させようとする表音的假名遣は、假名遣とはその根本理念に於て非常な差異があるもので、決して之を同視する事は出來ないのである。
 かやうに考へて來ると假名遣と表音的假名遣とは互に相容れぬ別個の理念の上に立つものである。假名遣に於ては、違つた假名は、それぞれ違つた用途があるべきものとし、たとひ同音であつても別の假名は區別して用ゐるべきものとするに對して、表音的假名遣に於ては假名は正しく言語の音に一致すべきものとし、同音に對して一つ以上の假名の存在を許さないのである。もし同音の假名の存在を許さないとすれば、假名遣はその存立の基礎を失ひ雲散霧消する外ない。即ち、表音的假名遣は畢竟假名遣の解消を意圖するものといふべきである。然るに之を假名遣と稱するのは、徒に人を迷はせ、假名遣に對する正當なる理解を妨げるものである。

 以上述べたやうに、假名遣と表音的假名遣とはその根本の性格を異にしたものであつて、假名遣に於ては假名を語を寫すものとし、表音的假名遣に於ては之を專ら音を寫すものとして取扱ふのである。語は意味があるが、個々の音には意味無く、しかも實際の言語に於ては個々の音は獨立して存するものでなく、或る意味を表はす一續きの音の構成要素としてのみ用ゐられるものであり、その上、我々が言語を用ゐるのは、その意味を他人に知らせる爲であつて、主とする所は意味に在つて音には無いのであるから、實用上、語が個々の音に對して遙に優位を占めるのは當然である。さすれば、假名のやうな、個々の音を表はす表音文字であつても、之を語を表はすものとして取扱ふのは決して不當でないばかりでなく、むしろ實用上利便を與へるものであつて、文字に書かれた語の形は一度慣用されると、全體が一體となつてその語を表はし、その音が變化しても、文字の形は容易にかへ難いものである事は、表音文字なるラテン文字を用ゐる歐州諸國語の例を見ても明白である。かやうな意味に於て語を基準とする假名遣は十分存在の理由をもつものである。
 しかしながら、假名遣では十分明瞭に實際の發音を示し得ない場合がある故、私は、別に假名に基づく表音記號を制定して、音聲言語や文字言語の音を示す場合に使用する必要ある事を主張した事がある(昭和十五年十二月「國語と國文學」所載拙稿「國語の表音符號と假名遣」)。然るに右のやうな表音記號としては、一二の試案は作られたけれども、まだ廣く世に知られるに至らないが、表音的假名遣は、前述の如く、その實質に於て假名を以てする國語の表音記號と同樣なものであり、表音記號としてはまだ不十分な點があつても、それは必要な場合には多少の工夫を加へればもつと精密なものともなし得るものであり、その上、臨時國語調査會の案の如き、多くの發音引國語辭書に於て發音を表はす爲に用ゐられて比較的よく世間に知られてゐるものもある故、これを簡易な表音記號に代用するのも一便法であらう。但しその爲には、表音主義を徹底させて、假名遣による規定を混入した部分は全部削除する事が必須であり、又名稱も假名遣の名は不當である故、明かに表音記號と稱するか、少くとも簡易假名表記法とでも改むべきである。
 表音的假名遣に於て見る如き、假名遣を否定する考へは、古く我國にも全くないではなかつたが、今世間に行はれてゐる、歴史的假名遣及び表音的假名遣の名は、英語に於ける歴史的綴字法(ヒストリカルスペリング)及び表音的綴字法(フォネティクスペリング)から出たもので、假名遣を綴字法と同樣なものと見て、かく名づけたのである。然るに綴字法は歴史的のものも表音的のものも、共に語の書き方としてのきまりであつて、かやうな點に於て、語を基準とする假名遣とは通ずる所があつても、音を基準とする表音的假名遣とは性質を異にするものといはなければならない。私は從來世間普通の稱呼に從つて表音的假名遣をも假名遣の一種として取扱つて來たのであるが、今囘新に表音的假名遣に對する考察を試みて、その本質を明かにした次第である。(昭和十七年八月稿)

2007年4月15日 星期日

特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 大野晋さん


特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 大野晋さん <1997~2007 再び語る>
 ◇民主主義には侵してはならぬ倫理がある。それを60年かかっても覚えられなかった
 背中を丸め、ゆっくりと歩を進める。「今度転んだら寝たきりと言われましてね」。70年間、「日本とは何か」という問いを胸に、日本語研究一筋に生きてきた。つえに身を預けた大野晋さん(87)は今、夢見るように言う。「インドにもう一度行きたかったねえ。案内するという考古学者もいるのに」
 1919年夏、東京の下町に生まれた。病弱で徴兵されず、戦中戦後もひたすら学問に打ち込んだ。てっきり学者家系の出身かと思いきや、「実は下町の砂糖問屋のせがれでしてね。店がつぶれ、他人の世話になりながら、アルバイトをして旧制一高に入りました」。
 開成中学時代に、初めて山の手の友達の家に行き、背後にヨーロッパ文化を垣間見た。下町との落差に驚き、「同じ東京でもここまで違うのか。異質な相手、欧州を理解するにはまずは自分を、日本を、そして日本語を知ることだ」と痛感したという。「日本とは何か」が生涯の命題となった。
 「旧制一高合格は28人中28番目。つまりビリだった。つらかった。僕は『多力』『少力』という言葉を考え出した。多力とは、生家が金持ちで社会的地位も高い人のこと。一高にはいっぱいいた。少力とは、僕みたいに学問を続けることさえ困難な状況の人間のこと」
 それから大野さんはティーカップの受け皿をテーブルに置きなおすと、皿の縁の一点に指を置き、「僕たちはみな、ここにいた」。次に中心点を挟んだ向こう側の縁の一点まで指を伸ばし、「目標はここにあった」。
 「多力の人は、皿の中心点を通ってまっすぐ目標に進める。でも僕にはできない。少力は皿の縁を遠回りでも歩いていくしかない。1・57倍の距離をね。でも勝ち負けが決まるのは最後に墓場で会った時、とそのころは心に念じていたんだ」
  *  *  *
 中教審の専門部会は06年3月、小学校での英語必修化を求めた報告をまとめた。しかし、「日本語をきちっと使えない者になぜ英語がちゃんと使えるか。小学校での英語は耳を育てる意義はあっても、限られた授業数の一部を英語に割くことで失うことのほうが大きい」との考えは今も変わらない。
 グローバル化が加速し、数年前にも増して世界共通言語としての英語が台頭してきた今、こうも言う。「外国語が入ってくる時は、まず文明から先に入ってくる。言語の前に文明がある。だから言語の問題だけを考えても仕方がない。文化や文明の力の弱い民族の言語は負けちゃうんです。優勢な言語に巻き込まれてしまう。日本は今、まさにそうですね」
 今の世には半ば絶望しているという。「子が親を殺し、親が子を殺す。県知事や議員が金をごまかし、政府は何億円も使ってタウンミーティングでインチキをする。民主主義にはそれなりに、決して侵してはならない倫理がある。それを60年かかっても覚えられなかった」
 感情的に他人の言説を押しつぶそうとするインターネット上の風潮についても、「ただ感情的に気に入らないとか、自分の意見と違う、というだけで反発し、反論する。もっと論理的に考えることを身につけなければ」と警鐘を鳴らす。
 何より倫理の崩壊が気がかりだ。「戦前の天皇制が良かったとは言いません。でもあの時代には天皇を頂点とした富士山のような揺るがない倫理があった。富士山の基礎には、長い歴史を持つ儒教精神があった。すなわち『忠孝』です。しかし、戦後は、外から持ち込まれた民主主義の基礎が日本人にはわからなかった。民主主義を守るためには何が必要で、何を守らねばならないかを知らないうちに、形だけを取り入れた。その結果、自由の精神は『自分勝手』に、平等は『均一』に、それぞれ誤解されてしまった」
  *  *  *
 かつて大野さんは「世界に誇る日本独特の価値観」として、「もののあはれ」を挙げた。「つまり共感です。感受性、情緒性は日本で豊かに育ちました」。例えば、形容詞のク活用とシク活用。「広ク」「長ク」などの客観的に形容するク活用と、「悲シク」「わびシク」などの情意を形容するシク活用について、「ク活用の形容詞は古来ほとんど増えていない。一方、情意を示すシク活用はどんどん増えてきた。『悲シク』だけでなく『うら悲シク』『もの悲シク』などとね」。そこからも客観的観察力に日本人が弱いことが分かるという。
 「つまり日本人は物の細密な観察や倫理、論理が苦手。水田稲作、金属使用、漢字、仏教、儒教……、日本が独自に考え出した文明は一つもない」
 日本が唯一生み出したのが情緒的な感性であるならば、安倍晋三首相の「美しい国」は何より日本人の胸に響く言葉、ということになるのだろうか。
 大野さんはむっとして否定した。「政治家は『美しい国』より大事な『倫理ある国』を目指すべきだ。あれは安倍さん自身の言葉ではないと思う。あの人に本当の『美』の尊重があるか。側近の誰かが考えついた策略のための言葉でしょう。第一、今のこの国は政治的に醜悪だよ」
 では「美しい日本語」ならばどうか。「美しい、などと初めから情緒的に言語をとらえてはだめなんだ。大切なのは意図が明瞭(めいりょう)な、きちんとした日本語を使うこと。『美しい国』はその後からついてくる」
 改正教育基本法に盛り込まれた「愛国心」についても、「生まれ育った場所に抱く愛着ならば、人は自然に持っている。でも愛国心は行き過ぎると、唯我独尊にもなるよ」。
  *  *  *
 今年88歳。正月もひたすら執筆にいそしみ、春に出版予定の本の原稿をほぼ仕上げた。テーマは、生涯追い続けてきた「日本とは何か」。この問いに答えは出たのか。
 「私なりの結論は『日本は模倣の国』です。借り物の寄せ集めの文明だが、それでもかつての日本は諸外国の文明を模倣し、摂取する能力にたけていた。物事に忠実で勤勉だったから。今の日本はそれすら失おうとしているのではないか」
 絶望に満ちた結論に、思わず「希望はないのですか」と食い下がってしまった。すると大野さんは「希望ねえ……。僕はむしろ最近、『日本とは何か』と学問に打ち込んできたこれまでの一生を、教育や政策策定などの未来につながる行動に注ぎ込むべきだったんじゃないか、と考えてしまうことがある。日本研究という生き方自体が間違いではなかったか、とね」
 胸を突かれた。若いころのインタビューで「学問するのは、僕の中に『日本とは何か』という問いがあるから。それに答えるためならば、何時間でも、苦しくても、学問を続けられる」と語った人である。そんな人が「研究者としての人生」に疑問を投げかけてしまうほど、この国に絶望しているとは。
 せめてこれからを生きる我々に未来を見据えた言葉をください、と頼んだら、大野さんは考えたうえで三つを挙げた。
 「事柄、事実に対して誠実であること」「ものごとをよく見ること」「そして、それを論理的に展開すること」
 小さく笑い、言い添えた。「僕はね、これまでこの三つを学問の方法論としてきたんだ」
 一つひとつの言葉はとても平易なのに。その言うところを実行するのは、とても難しい。【文・小国綾子 写真・山本晋】
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 <00年8月22日紙面から>
 ◇「言語への緊張感」を失うな
 インタビューの前年に出版した「日本語練習帳」(岩波新書)が、170万部を超えるベストセラーになった。
 「国文学科以外の学生が社会に出て文章を書く時に、少なくともこれだけの考え方で日本語にのぞむ必要がありますよと、ごく基本の基本が分かるように示したいと思って書いた」。小学校からの英語教育が議論を呼んだ時期でもあり、「日本語もできない、英語もできない虻蜂(あぶはち)取らずの日本人をつくるだけだと思いますね。日本語をきちんと使えないで、何で英語を使えるんですか」と批判した。
 さらに、「とてもよかったかな、みたいな……」といった「ぼかし言葉」のはんらんについて「日本語練習帳で言いたかったことは『はっきり言いなさい』『はっきり読み取りなさい』ということです。(中略)現在のように細かいことを突き詰めて考えなければならない時代では、あいまいなままでは通用しない」と指摘した。森喜朗首相(当時)の「神の国発言」についても「言葉に対する緊張感は、事柄に対する緊張感でもある。言語に対する緊張感は決して失ってはならない」と苦言を呈した。
 日本語の今後について「自分が小さい時に覚えた言葉で自分の考えをきちんと言えるような人間にならないと。さもなければ、英語を使ったってちゃんとしたことは言えない」と結論づけた。
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 ■人物略歴
 ◇おおの・すすむ
 1919年、東京生まれ。東大文学部国文科卒。学習院大名誉教授。「岩波古語辞典」の編さんや、日本語のタミル語起源説で知られる。「日本語の起源」「学力があぶない」「日本語の教室」(岩波新書)など著書多数。
毎日新聞 2007年1月10日 東京夕刊

2007年4月14日 星期六

インタービューのノート Writed by TakanariRyo

日本語を勉強するきっかけ

  初めて日本語との接触したのは、小学校の頃、父の弟、つまりおじさんからもらった日本童謡・唱歌のテープです。中にはさまざまよい歌が揃われて、「春が来た」、「赤とんぼ」、「かたつむり」、「朧月夜」、「故郷の空」、「故郷を離るる歌」、「故郷」、「ゆうやけこやけ」など、有名で優れてる曲が今だって深く記憶に残っております。また、小学校の頃、日本製のアニメもたくさん見ていました。「母をたずねて三千里」、「ぺリーヌ物語」、「アルプスの少女ハイジ」、「フランダースの犬」、「海のトリトン」、「みなしごハッチ」、今もゆかしく感じますが、昔はあれが日本製のアニメだと意識されていなかった。ながらも五十音と呼ばれる仮名文字の勉強し始めたのは、すでに高校生になったころです。あれ以来、少しずつ日本語を勉強してまいりました。長い時間に勉強の中断したりする時もしばしばありますが、本当に諦めたのは、一度でもなかった。日本語塾へ通ったこともありますが、だいたい独学の部分が多いです。自らもよく「我流日本語」だと言います。そこで会話をする機会が殆どないので一番弱い部分はやはりお喋りと聞き取りだと思います。

なぜ古典日本語まで勉強しますか。

日本語を勉強してる間にたまたま現代日本語文法だけでは解釈できない部分が出てくる。例えば「思わざるを得ない」、「すべからず」、「許すまじき戦争」、また「するべし」、「すべし」;「うる」、「える」どちらが正しいのか、などなど、いくつもあります。私は無理矢理に覚えさせられるだけのことがとても嫌いで、どうしても理解したい気持ちが抑えきれずについつい日本語の古典文法まで遡ったというわけです。そして、勉強すればするほど古典文法の整然たる仕組みに驚かされてしまいました。私はもともと文学に興味のある人ですから、ついに古典文学も惹かれました。

一番好きな歌

ずっと昔から優れてる歌人と秀作が絶えずにドンドン出てくる。気に入ったのはたくさんありますが、ここでは大伴家持の一首を読ませていただきます。

春の苑紅匂ふ桃の花下照る道に出で立つ少女

よく考えてみると、この歌の仕組みは大層単純で二つの体言の並列に過ぎません。「春の苑紅匂ふ桃の」全体は連体修飾として「花」の一語にかかった。「下照る道に出で立つ」も同じく「少女」を修飾する。この「花」と「少女」とは二つは一つ、二つは一つ。イメージが重ねあった。ややこしい文法やら、難しい単語やら、全然使ってないのに、立派な歌が出来上がった。高度な感性も見込めます。これこそ歌人のタクミだと言えるではあるまいか。

仮名遣について

外国人の私から言うととっても僭越かもしれませんが、残念なこと、「現代かなづかい」は「標準語」の發音に基いて定められているものにすぎない。日本語本来のバランスも表意性も論理性も美しさも全く失っていった。現代日本語文法の一部も、表音主義の仮名遣のせいで理屈が立たなくなっている。まあ、「現代仮名遣」を既成事實として仕方がなく、認めるしかないようだが、和歌を詠む場合はやはりなるべく正字正仮名を使ったほうがいいと私はそう思います。

仕事で外国に行っている場合は、その外国語の勉強について Writed by TakanariRyo

仕事のために外国に行っている場合と、その外国語はできるだけ話せたほうがいいのか、それとも仕事に必要なレベルだけ話せばいいのか。これはとても面白い問題でございます。
  言葉はその国の文化の一つであるから、外国人はどんなに勉強してもマスターすることが大変お難しゅうございます。ただ仕事のためであって、別にその国に帰化し、国籍まで取るつもりもないからには、わざわざたっぷり時間をかけて、ちゃんと身に付けなければならないわけがないじゃないかって存じております。
  その国の言葉が上手なのか、下手なのかと頭を痛めるよりも、寧ろ仕事に関する知識や資料など、準備したほうが増しでございませんか。即ち仕事に必要な程度の言葉だけを学んだら十分だと申し上げます。それ以上のものは無駄だと言えなくても、差し当たり余り役に立ちません。もちろんご自身がそれに対して興味がお持ちなさってらっしゃったら、別ですけれど。

日本語研究について Writed by TakanariRyo

  日本語と言えば、凡そ五つの体系があります。それが1.漢文2.漢文訓読系3.和文4.候文5.現代日本語であります。「日本語は悪魔の言語だ。」と断定した外国人までいらっしゃいます。(注一)。確かにまずは平仮名、片仮名、数え切れないほどの漢字が形無き壁となって人々の目の前に立っています。そして漢字には訓読み、音読みがあり、それに音読には、呉音、漢音、唐音、慣用音さまざまあります。これだけを聞くと、頭が混乱せざるを得ないでしょう。

  しかし、音声面から見ると、日本語は案外単純なものであります。五つの母音しかなく、子音もそれなり多くはありません。つまり習得するのは容易いです。そのかわりに表記面は極端に複雑で、恐らく一生かかっても習得困難だと言えます。
 
  この両極の性質を持つ日本語を研究するために、一体どこに注目すべきで、どこから手を伸ばすべきかと言われれば、その手がかりとしてやはり古典日本語にしかないと思われます。私の考えですが、古代日本語の音韻に関する知識は絶対に日本語の系統を明らかにするための基礎として欠けてはならない知識に間違い有りません。

  例えば昔の文法書では、完了助動詞「り」は四段活用の已然形に付くことになっていましたが、今なら命令形接続説が認められるほうが余程多くなってきています。なぜこんなふうになったのでしょうか。それは「り」という助動詞は元々存続・存在を表す「あり」だと推測され、現代日本語の場合なら、「ている」に当たります。それを四段活用の動詞に付けると、動詞の連用形の下にかかります。例えば

咲きあり
  
  それから二つの音を融合すると、「ia」は「e」という形に残されていました。つまり「咲けり」となりました。これを単に仮名から見ようとすれば、已然形と命令形とはいずれも形が同じ「け」ですが、しかし橋本進吉氏の「上代特殊仮名遣」によって「エ列」音には甲類と乙類との二つのグループがあることが分かりました。そして「咲きあり」の融合して出てきた「エ」はその甲類に書かれています。

  「咲け(已然)・咲け(命令)」実は万葉仮名では明確に区別されています。已然形は乙類で、命令形は甲類になっています。ちなみにこの区別は片仮名や平仮名の時代に至って、音声の区別は無くなってしまいましたが、奈良時代の万葉仮名の「け」の甲乙類の区別によると、「咲きあり」から融合した「け」は命令形の「け」とは一致するのです。こうから考えると、已然形接続説は奈良時代までさかのぼることができません。なぜなら、奈良時代には、明らかに四段活用の已然形と命令形との区別があって、已然形ではないということが分かっているからには、平安時代もそれを引き継ぐべきだと考えられます。

  サ変の場合はどうでしょうか。サ変に完了の「り」が付くと「せり」となります。サ変の活用形は「せ、し、す、する、すれ、せよ」という形ですから、「り」は未然形に付いたというふうに考えられざるを得ません。というわけで、サ変の場合は未然形に付くと思われてきました。
  ところが、上代のサ変を調べてみると、僅かですが、命令形に「せ」の形があります。

  いざせ子床に       (万葉集・三四八四)

  という歌で、「いざせ」の「せ」は「しなさい」の意ですから、サ変の命令形です。サ変の命令形に「せ」があるとすれば、四段との対照上、サ変も命令形に接続すると見直したほうがよいでしょう。ただ、現在サ変の活用表には命令形「せ」がないのが普通ですから、未然形に付くと考えられても仕方がないと思います。
  しかしながら、前に説明したように、「り」は元々「あり」と推測することができますから、本来は連用形に付くものです。もし、連用形に付くのだと考えれば、「しあり」になるわけです。そうすると「-ia」というように母音が連続する場合、siとaと二つ融合して「せ」になります。この「せ」は仮名文字で書けば未然形になるけれども、実はサ変連用形の「し」に「あり」が付いた形がたまたま「せ」になっただけで、たとえ未然形と同一の音であっても、未然形の下に「り」が付いたものではなく、連用形に「あり」が付いたのだと理解すべきです。もちろん四段活用の理も一応同じです。

  ですから日本語の全ての経緯を究めて進みたければ、古典日本語の大切さを理解しなければなりません。もし日本語の系統を明らかにすることができれば、更なるこの日本文化の由来、日本人の見方、日本精神の核心、敷島のヤマト心など次第に解明することもできるはずではありませんか。言葉は決して断片的なものではありません。時の流れとともに古(いにしへ)の言葉と現代の言葉との間にはきっと強く結び合って絡んでいます。これは伝承と言われます。現代日本語を課題として研究する方々にも古典日本語の知識を持つべきだと私はこう案じております。

  ということで、私は懸命に古典日本語の道へ辿ってゆこうとします。

注一:フランシスコ=デ=ザビエル1549年鹿児島県種子島に上陸。